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私が野球を始めた理由。PART1。

皆様こんばんは。

久保田スラッガーの新品のファーストミットとオーダーした外野用グラブの手入れと型付けをやっておりました。

まだまだカッチカチです。

デビューはまだまだ先かな?

そろそろ高校時代から愛用してるZETTの外野用グラブが限界に達してきているので、使えるようにしておかなければ・・。


どうも野球マニアです。


今日は私が野球を始めた理由を皆様にお話していきたいと思います。

私が野球をやり始めたのは小学校4年生のときでした。

野球をやる前の私は、ハンドボールとサッカーとゲームが好きな至って普通のちょっとぽっちゃりな(笑)小学生でした。
小学校1年生くらいのころから小学校4年生までの間、学校で運営していたハンドボール部に入部しておりました。

放課後は友達とハンドボールの練習をしたり、友達とグランドでサッカーをして遊んだり、友達の家や自分の家でよくゲームをして遊んでおりました。

野球とはほぼ無縁でした。

じゃあ、何故そんな私が野球を始めて、「野球マニア」と名乗っているほど野球が好きになったのかを説明していきます。

小学校4年生。
ハンドボール部で実力が出始め、上級生の試合に出場するようになってきました。

サッカーが好きでよくサッカーをして遊んでいたので、少年サッカーチームに所属していた友達にも「お前、サッカー上手いな!俺たちのチームに入って一緒にサッカーやろうぜ!」
と、言われるくらいでした。

ハンドボールとサッカー。
どっちをやろうか迷っていたときに近所に住んでいた「ケンタ」くんに「昨日お父さんにポケモン買ってもらったんだ!今日一緒にポケモンやろうよ!」と、声をかけられました。


このケンタくんが私に野球をやるよう説得した人物です。
この人がいなかったら、私は多分サッカーかハンドボールをやってただろうし、野球とは完全に無縁な22歳になってたでしょうね。
このブログも立ち上げていなかったですし、火の玉メンタル法を知らずに無意味な人生を歩んでいたことでしょう。

このケンタくんは野球が大好きな少年でした。
その私は・・・野球が嫌いだった・・・・。
亡き親父が小学校〜大学までバリバリに野球をやっていた野球エリートでした。

親父は私に野球をやらせたかったらしいのですが、私はハンドボールを始めてしまいましたし、プロ野球だって見たくないのにチャンネルを変えてくれなかったので、見たいTVやアニメを見ることが出来ずに弟と2人でよく泣いていました。
プロ野球は嫌々見ていました。

だから、ハンドボールやサッカーに走ってしまったのでしょう。
むしろ野球に興味があったのは、弟のほうでした。
欲張りだった親父は兄弟揃って野球をやってほしかった。と、後々知った話だ。

野球をやるようになったキッカケは・・・。
先ほど紹介したケンタくんが当時はいじめられっ子で、近所でよく遊んでいた私が助けていた・・・。

そのいじめっ子のリーダー格のヤツだったかな??
私にこう言ってきました。
「おい野球マニア!ケンタなんか助けてどーすんだよ?」
「ケンタは俺の友達なんだから助けて当然だろ?お前らもケンタいじめて楽しいのかよ??」
「ふーん。そうか・・・。じゃあ、友達なら、こいつと一緒に野球やれよ。そんでお前はハンドボール部を辞めろ。そしたら、もうケンタとか弱っちいヤツなんかいじめねぇよ。」

このリーダー格のヤツは一緒のハンドボール部に所属しており、私が上級生の試合に出場しているのを妬んでいてそう言ってきたと思い、その条件を飲み、ケンタくんのイジメを無くそうと思っていました。

ケンタくんが入っている少年野球はすぐ辞めるつもりでいて、私はサッカーチームに入るつもりでした。

家に帰ってからケンタくんの両親がウチにあいさつしに来ました。
「あぁ。どうもこんばんは!野球マニアくんがうちのケンタと一緒に野球をやるそうでしてね。ケンタは大喜びしてますよ。野球マニアくんと野球が出来るんだ!って・・・。ご近所同志で仲良くやっていきましょうね。」

野球が嫌いな私が野球をやる・・・。
親父はビックリしておりました。
「おい!お前、ハンドボール部はどうすんだ??」
「辞めるー。少年野球もすぐ辞めるから。あぁ、俺、少年野球辞めたらサッカー始めるからー。」
と、ポケモンをやりながら答えました。

私の家庭は、親父は基本ユルユルで優しくて、母親が口うるさく、厳しかった。

しかし、そんなユルい親父は間違ったこと(イジメや暴力、甘い考え、決めたことを最後までやらない、不良等)をすると厳しく怒ります。
「何??その考えは?ケンタくんの気持ちも考えてやれよ!!ケンタくんはな、お前と一緒に野球が出来て喜んでるそうだ。」
「ケンタがクラスでいじめられてるから、助けるために少年野球入るんだよ。ケンタのいじめが無くなったら辞める。野球なんかしたかねぇもん。」
「このバカヤロー!!!!(怒)」
「??!!」
と、やっていたポケモンを取り上げられ、説教を喰らいました。

「野球やりたくねぇんならハナっからやるな!!ケンタくんの気持ちを踏みにじることだからな。ケンタくんにちゃんと話してこい!」

と、しぶしぶケンタくんの家まで行き、話してきました。
するとケンタくんが。
「野球マニアくん、やる前から辞めるって言っちゃダメだよ。とりあえず、今度の日曜日僕のお母さんと一緒に野球行こうよ。何でも、野球マニアくんのお父さん、野球上手いんでしょ??僕のお父さんが言ってたんだ。」

私は親父が野球をやっていたことすら知らなかった。
ただの野球好きなおっさんだと思っていた。


最初の練習は思ってたより面白かったので、そのチームにとりあえず、入団したが・・・・。
そのチームは当時はスパルタ練習でとてもじゃないが、キツくてやっていけなかった。
試合中の当時の監督の怒号が恐かった。

何度も辞めよう・・・。
と、思ったことがあるが、いつもケンタくんに説得され、励まされていた。
私は当時、練習中キツくてキツくてよく泣いていたからだ。
「野球マニアくん、頑張ろうよ!ほら!泣かないで。僕と野球マニアくんで黄金バッテリーを作り上げようよ!」
と、いつも泣いていた私を励ましてくれていた。

そのスパルタ練習のおかげでみるみる上達し、5年生から試合に出させてもらえるようになった。
ハンドボールを経験していた私はチームトップクラスの強肩でぽっちゃりな体型だったので、迷わずキャッチャーにポジションが固定。
ケンタくんはずーっと志願していたピッチャーになった。
後に知った話ですが、現在ソフトバンクに所属している寺原さんが高校時代、甲子園で157kmをマークした試合を見ていたケンタくんはそれからピッチャーに憧れて、小学校〜高校まで、ずっとピッチャーをやっておりました。

黄金バッテリーを約束通り作り上げた私たちは放課後よく一緒に野球の練習をしていました。

素振り〜キャッチボール〜ピッチング〜ダッシュ。

ほぼ毎日やっていました。
なので、3番ケンタくん。4番野球マニア。
バッテリーでクリーンアップ。
幾多の大会を勝ち進み、強豪チームとよく試合をしていた。


私は小学校で野球を辞めて、ハンドボールをやるつもりでしたが・・・・。
通っていた中学ではハンドボール部が無かったので、ケンタくんと少年野球チームで一緒にやっていたメンバーから声を掛けられ、再び野球を始めた。

しかし、成長痛で右肘を痛めた私はキャッチャーのポジションを断念・・・。
他の小学校で野球をやっていた同級生に譲る。
守りに難があるということで、打撃を活かすためにファーストに固定。
たまにキャッチャーを務めることもあった。


長くなったので、一旦終了します。


ありがとうございました。
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Author:野球マニア
野球マニアです。
小~中~高~社会人と野球歴12年です。
野球について楽しくお話が出来たら嬉しい限りです。
自由気ままな生活を更新していきます。

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